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「文化生活」2月号特集 大倉集古館
――龍や鴟吻のすむ古美術の迷宮
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2月号の特集
龍や鴟吻のすむ古美術の迷宮 実業家が建てた「現存最古の美術館」
――東京・虎ノ門 大倉集古館
大倉集古館は実業家、大倉喜八郎(1837〜1928年)が自身のコレクションを展示するため、1902(明治35)年に自邸の一部を大倉美術館として公開したことに始まります。
現存する日本最古の美術館とされ、27(昭和2)年再建の中国風建物が今も異彩を放ちます。
今回は、歴史的な建物や所蔵品について、学芸員の四宮美帆子さんにうかがいました。
―「集古館」という名称がめずらしいですね。
「集古館」という名称は、東京帝室博物館(現・東京国立博物館)の初代館長、町田久成が集古館(博物館)の建設を政府に提言したときの文章に見ることができます。町田は文化財を保存して、学問・芸術・宗教・法律・制度などの歴史の変遷を研究する集古館が必要であると考えていました。
大倉集古館の日本、中国、朝鮮、アジアの美術・工芸品や考古遺物の存在から想像すると、当初喜八郎は東京帝室博物館を理想としていたと思われ、世界唯一の名称「大倉集古館」もそこからきていると思います。
―「日本最古の美術館」といわれます。
日本最初の美術館は川崎造船所の創業者、川崎正蔵(1837〜1912年)が1890年に建てた川崎美術館とされています。昭和初期の金融恐慌がきっかけで川崎コレクションは散逸、災害で建物も失われてしまいました。一方、喜八郎が私邸に美術館を開館したのは1902年で、17年に日本最初の財団法人として公的に認められるとともに広く認知され、現存する日本最古の美術館として今に至ります。
喜八郎は川崎正蔵と同様、明治の廃仏毀釈で被害を受けた仏教美術や、大名家から流出した調度品などが海外へ流出するのを防ぐために収集していました。漆工などの工芸品を多く所蔵していたので、美術館というよりも博物館の概念に近く、財団法人設立時に大倉美術館から大倉集古館に名称を変更しています。
23年の関東大震災では、大倉邸とともに大きな被害を受け、展示館をはじめ所蔵品の大半が焼失、損壊しました。倉庫に保管してあり難を逃れた古美術品を中心に、28年に再開館。二代目の大倉喜七郎が近代絵画などを集め、所蔵品も拡充していきました。
―象徴ともいえる中国風建物にはどんな特徴がありますか。
現在の建物は震災復興後の再開館に合わせて、27年に建てられました。京都の祇園閣や東京の築地本願寺の設計で知られる建築家、伊東忠太によるもので、中国古典様式の建物です。当時は、入り口から長い回廊や六角堂を経て高台にある展示館にたどり着くという造りでしたが、62年のホテルオークラ開業に伴い、展示館を残してすべて取り壊されました。いまの建物にエントランスがないのはそのためです。
伊東は日本と東洋の建築史家であり、近代日本を代表する建築家です。独創的な歴史観が生み出す独特で不思議な意匠が特徴で、建物の内外観には東洋美術をモチーフにした文様やデザインが散りばめられています。2階展示室の柱の上部には鯱しゃちほこの原形ともいわれる鴟吻(しふん)という想像上のいきものが複数刻まれ、天井では龍がにらみを利かせています。屋根の上にも鴟吻が取り付けられていますし、階段の親柱にはちょこんと座る獅子の姿が見られます。
幸いにも戦時中の空襲から免れた展示館は90年に東京都の歴史的建造物に、98年には国の登録有形文化財に登録されました。2019年にはホテルの建て替えに併せ、地下の増築や階段の移設などの改修を行いました。
――続きは、パンフレット「文化生活」でお楽しみください。