限定200部
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やわらかな薄紅色に貝づくしの文様があしらわれた着物、絢爛たる金糸の亀甲文様の帯を身に纏った舞妓、来君。
遊亀の前に集まった賑やかな舞妓たちの後ろの方にいて、控えめに目立たない様子で一人座っていた来君。来君は京都・先斗町にて、店出しして間もない舞妓だった。モデルに決まったことで自覚が芽生え、これまでより芸に精を出し、日を追うごとに美しくなっていったのだという。
特別にこだわり、徹底的に追及された余白こそ遊亀芸術の神髄といえます。
舞妓をはっきりと際立たせ、ぴんと張り詰めた空気が漂う、深遠なる空間。何度も胡粉を重ね試行錯誤して造りだされた背景は、舞妓の肖像を静ひつで類まれなるものに昇華させています。本作は、ごくまれにしかほめることがなかった師・安田靫彦が、「浴女」につづき2度目に賛辞を贈った作品となりました。
遊亀は70代を迎えて、ますます独自の画境が進化し、「径」「観自在」「姉妹」などの数々の秀作を生みだします。本作は1969年(74歳)に制作、再興第54回院展に出品された際にはたいへん評判となりました。円熟期に描かれた作品の中でも屈指の名作、と呼ぶにふさわしい遊亀の代表作といえます。装飾品を思わせる細部まで美しい日本美と、静ひつな世界とがみごとに調和した本作は、観るものを高雅な世界へと誘ってくれます。
作品解説
小倉遊亀は、生涯にわたり女性肖像の名作を、何点も世にのこした。しかしこれらを肖像画と呼ぶには語弊がある。とくにこの「舞妓」には、仏画としての画家の思いが込められている。「これも菩薩のつもりなんです。京都の鴨川踊りを、毎年見てるうちにね、世間の人が特別の目で見るこの世界にも仏は住む、ということを描いてみようと思ったんです」と遊亀は語った。小倉遊亀の画業は、野の花にも、童女にも、果物や野菜にも、そして舞妓にも、あらゆるものに宿る仏性を描き出すことにあった。(中略)
◇
さて、鴨川踊りのあと、先斗町の舞妓たちを集めてモデル選びを行った。この時「一番うしろに目立たない子が一人、おしゃべりするでもなく、物おじするでもなく、自然な様子ですわってるんです。名前を聞くと、来君(らいきみ)ですと言う。ブランデーをすすめると、悪びれずにスゥーッと飲んじゃった」と遊亀の意表を突いた舞妓がいた。後ろに控えつつ、腹の座った心意気ある様子に惹かれたのであろう。遊亀は来君を選んだ。モデルになる当日には「扇子を前に置いて、煮るなり焼くなり先生のお好きにしてください、と任せ切った真剣な表情です。私、そこに仏を見たんです」と、画家へ全幅の信頼を寄せ、写生を前に威儀を正した姿に、遊亀は純真無垢の仏心を見た。
作品の来君はまっすぐな目線を画面の外に投げかけている。その表情からは、少女のドキドキした心臓の音が聞こえてくるようであり、一方遥か遠くを見据えたまなざしには大きな抱擁力も感じさせる。初々しい、心洗われる清新な仏画となった。(中略)
◇
めったにほめない師の安田靫彦も、これには賛辞をくれた。遊亀は入門のころ靫彦に「一枚の葉っぱが手に入ったら、宇宙全体が手に入る」と諭されたが、これをずっと心に籠め、ここまで、宇宙を掌中にする目標に近づき得たのが、この「舞妓」であった。
國賀 由美子(大谷大学教授)
■女性初の日本美術院同人で、文化勲章を受章した画伯の名画を、限定200部のみにてご提供します。
■監修者の協力を得て、原画の微細な色調まで再現しました。
■先端の複製技術「彩美版」により、日本画独特の質感、濃淡の深みなど細部にいたるまで再現しています。プラチナ泥をぜいたくに使用したシルクスクリーン手刷りを施し、格調高い仕上がりが実現しています。
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