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印象派の巨匠、クロード・モネと睡蓮の池
モネは印象派の芸術活動に当初からかかわってきました。印象派という言葉も、モネの第1回印象派展出品作の「印象・日の出」からきています。モネは1883年にパリからセーヌ川を80kmほど下ったところにあるジヴェルニーに屋敷を借りて住みました。その後敷地と屋敷を購入し、93年にはさらに敷地を買い足して睡蓮の池を造ります。「水の庭」を呼ばれたこの場所で、モネはおよそ300にも及ぶ「睡蓮」のシリーズを描いてゆくことになります。このジヴェルニーの地で、モネは再婚をして多くの家族たちと賑やかに暮らしました。
E.G.ビュールレとモネ 「睡蓮の池、緑の反映」との出会い
晩年、モネは睡蓮の大装飾画の制作のために、アトリエを建設しました。描かれた大装飾画のいくつかは、フランス国家への寄贈が決まり、モネがなくなってからオランジュリー美術館で展示されることになりましたが、モネ亡き後にこのアトリエには、寄贈されなかった大装飾画が残されていました。1951年にE.G.ビュールレはこのアトリエを訪れ、残された「睡蓮の池」大装飾画の2点を購入し、チューリッヒ美術館に寄贈しました。翌年、されにもう1点の大装飾画を購入しましたが、それが現在ビュールレ・コレクションに所蔵されている「睡蓮の池、緑の反映」です。
作品解説
「睡蓮」を主題にした作品は、知られているだけでも計300点以上に及び、画家が生涯に手掛けた作品数のおよそ7分の1を占める。その数は年を追って増え、1895年以降(50歳代)にはほぼ半数が、妻アリスが逝去する1911年(70歳代)から第一次大戦後の20年代(80歳代)になるとほぼ全作品が睡蓮の題材に収斂(しゅうれん)していった。スイス・チューリヒの世界的な個人コレクションに所蔵されるこの作品は、そうした睡蓮の連作のなかでも、最晩年に制作された一連の大作のひとつである。(解説から抜粋)