弘法大師御誕生1250年記念
弘法大師空海 名筆美術複製
日本書道史上はもとより、その名を中国大陸にまで残す弘法大師空海(774〜835年)には自筆本が現存するため、今もわれわれは空海の息吹をその書によって直に味わうことができる。9世紀の空海の書が21世紀の今日まで、1200年の時空を超えて伝来したこと自体、驚異的といわざるを得ない。
「施人云々」の言葉は、他人に施す時と、自らが施しを受ける時の心構えを示したもの。「崔子玉座右銘」の冒頭「無道人之短、無説己之長」の10字分は、今、高野山宝亀院所蔵で、その直後にこの大師会所蔵「施人慎勿念受施慎」へと繋がる。(中略)
伝によると、狩野探幽(1602〜74年)が高野山の金堂の壁画を描いた折、その謝礼に寺から黄金2千両が贈られるはずであったが、探幽はこれを固辞し、その代わりに空海の座右銘16字分を請うて貰い受けたのが、この大師会所蔵の一巻であるという。(中略)
この「崔子玉座右銘」を見ると、空海が大勢を相手にこうした座右銘の墨書を示しながら教えを説いた場面が彷彿とする。(略) ※付属解説書から抜粋
古谷 稔(書学者、前・大東文化大学教授)
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大師会について
東の大師会、西の光悦会と並び称される、二大茶会のひとつ。三井財閥の創始者で茶人としても有名な益田孝(鈍翁)が、1895(明治28)年に品川御殿山の自邸で開いた大寄茶会が大師会の始まりである。会の名は、益田鈍翁の愛蔵品、「弘法大師筆崔子玉座右銘残巻」と「弘法大師像」に因むものと伝える。現在は、根津美術館を会場として毎年開催されている。
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